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2012年5月

2012年5月23日 (水)

赤穂浪士って…?

かつては赤穂の牢人(浪人)といわれることが多かったが、明治の中期から赤穂義士(あこうぎし)と呼ばれ、忠孝の教えの観点から戦前は全国的にも赤穂義士の名称が一般的だった。明治以降壬生浪士の影響から浪人を浪士と称することもある。戦後、大佛次郎の小説がテレビドラマ化されてからは、赤穂浪士の方が周知されている。四十七士(しじゅうしちし)ともいう。

四十七士ではなく、四十六士であるという説もある。この問題はすなわち討ち入り後、泉岳寺にある長矩の墓に行くまでに突然姿を消した足軽寺坂信行が逃亡者であるのか、それとも何らかの理由で同志達の許可を得たうえで離れた者であるのかの問題である。逃亡者とみなす見方は四十六士となり、大石良雄から何か密命を受けて離れたとする見方では四十七士と呼ぶ。

なお、浪士のうち赤穂(播磨国赤穂郡)出身者は大石良雄を含めて半数程度で、次いで多いのが常陸国の真壁(真壁郡)や笠間(茨城郡)の出身者である。赤穂浅野氏の家臣団の中心は、正保2年(1645年)に浅野長直(長矩の祖父)が赤穂に転封される以前の真壁藩・笠間藩時代に形成されているためである。吉田兼亮・小野寺秀和・堀部金丸など高齢者の浪士はここの生まれが多い。そのため同地には現在も浪士の出身家系の旧家が残り、浪士の遺品も多く伝わっている。

赤穂浪士が葬られた泉岳寺では、現在も毎年討ち入りの日に義士祭を催している(討ち入りの日は旧暦12月14日深夜であるが、義士祭は新暦12月14日に行われる)。

2012年5月19日 (土)

泉岳寺って…?

泉岳寺は曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県の永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。
道元禅師の主著は仏教の真髄を表した『正法眼蔵』という95巻に渡る書物です。
さて、泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。(現在の警視庁の近く)
しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。
浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
一般的には赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三か寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。
その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。

(転載)

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